「仮面ライダー」で「本郷猛」を演じていた当時、ロケや実演ショーなどで全国各地に行き、時間の合間を見ては、我々スタッフは施設や小児病棟などを訪ね、病気や障害を持った子供たちを励ましてきました。子供たちのヒーローとして多くの子供たちに勇気を与えたいと考えたからです。その中で多くの出会いと感動がありました。それまで車椅子無しではいられなかった子が仮面 ライダーを見た途端に歩き出したこともありました。そんな体験を重ねていく中で私は、ボランティア活動をする事への信念と意義を見いだしてきました。今現在は、民間ボランティア団体の理事の一人として、メンバーと共に活動しています。活動趣旨は、国境、民族、宗教、イデオロギー全てに関係なく、飢餓、紛争、災害のある所、難民のいる所、政治的、経済的に困難な状況下にある人々(孤児や被災者など)に対し、それら全ての垣根を越えて、援助と救済をすることです。私も微力ながら、この趣旨に則って活動をし、各国の人々との友情を深め、文化交流を通 じ、国と国との相互理解が深まっていくことを願っています。私には、父から受け継いだ武士道精神という「心」と、これまでに習得してきた武道という「技」、そしてそれを実践するための「体」があります。この「心」「技」「体」をもって、世界の各地を巡ることは私に与えられた使命であろうと考えます。
藤岡弘、 近年のボランティア活動
1991年 <中近東>
湾岸戦争直前の中近東を訪問。
1992年 <エチオピア>
民主化間もない、混乱の中のエチオピアへ。
1993年
<カンボジア>
UNTACが配備されているとはいえ、まだまだ危険地帯の多いカンボジアへ。
1993年<モスクワ>
メンバーと共に「ロシア友好使節団」の一員として出発。
1993年<奥尻>
北海道西部沖地震で大災害の被災地となってしまった奥尻島へ、
1993年、<イラク・ヨルダン>
第5回バビロン国際音楽フェスティバル(世界30カ国から、111チームが参加)に、日本代表として武道実演で参加。
1993年<中国(北京・上海)>
メンバー23人は中国残疾人聯連合会の要請を受け、中国人民外交学会を通じて中国を訪問。
1995年<ガーナ・ギニア>
メンバー16人とともに、100万人以上の難民とエボラ出血熱等の病気に苦しむアフリカのガーナ・ギニアへ「ガーナ・ギニア友好使節団」の一員として出発。
1995年<AIDSフォーラム95>
世界を廻るにつれ、AIDSの現状を知るとともに、日本人のエイズに対する危機意識の希薄さ、無関心さを大変危惧し、多くの講演の中で、訴え続けてきた。この時はビデオにてメッセージを送った。
1995年<熊本 クマ牧場>
阪神大震災直後の救済活動が出来なかったため、その後に開かれたチャリティーイベントの多くに参加した。そのうちの一つである。
1996年<ビデオ・リビング ウィズ AIDS>
全国の公立図書館に無料配布された3千本のビデオ「リビング ウィズ AIDS」に出演・協力をした。このビデオによってより多くの人にメッセージが届くよう願っている。
1996年<ベトナム>
戦禍の傷跡癒えぬハノイ・ホーチミンへメンバーと共に「日本・ベトナム友好使節団」の一員として向かった。
1997年<モンゴル>
メンバーと共に、日本・モンゴル友好使節団として。
1997年<奥尻島>
阪神大震災で被害を受けた子供たちと、奥尻島の地震被害を受けた子供たちとの合同チビッ子フォーラム及び、シンポジウムが奥尻島で開催され、コーディネーターとして参加、協力をした。
1998年<アルゼンチン・ブラジル>
日本アルゼンチン修好100周年およびブラジル移民90周年祭にあたり、海外協力事業として、両国を訪問。アルゼンチンにて武道実演。
1999年<バングラディッシュ>
TV番組の企画として、バングラディッシュにおいて、映画俳優、実業家でもあり、又ボランティアの活動家としても知られているラジャック氏と交流を図り、共にストリートチルドレン、ホームレスや難民の子供たちなどの多くの人々に対し救済活動を行った。
1999年<トルコ共和国>
「第42回トルコ友好使節団」の一員としてイスタンブールおよびコソボ難民キャンプを訪問。そして数万人のセルビア難民への義援物資搬入、またアンカラの孤児院・身障者等の福祉施設も訪問した。
1999年<ロシア/極東地区(サハリン)・北方四島、稚内>
日露平和友好使節団の一員として民間外交事業に参加。病院、老人ホーム、学校などの福祉施設や日本人会、韓国人会を慰問。
2000年<スーダン・クウェート>
「第45回スーダン/クウェート文化交流使節団」の一員として、現地の障害者施設、老人ホームを慰問。武道実演を行った。
2000年<スーダン>
将来、アフリカと全世界で起こりうる食料不足に対応するための事業を展開するための現地視察を行った。
ここに書き記したのは、今まで私が体験してきたことの中のほんの一部分です。とても全てを文章に出来るものでもありません。悲しいかなこれらの事例には必ず、人間対人間の深刻な対立概念が存在しています。そして、そのことによって苦しめられている人々(その多くは婦女子)は今もなお増え続けています。 ボランティアと言うと今の平和な日本においては、黙って行うことこそが美徳であり、自らの活動をおおっぴらに語ることは、おこがましいとも捉えられる風潮すら感じることがあります。しかし、世界に足を運び、その現実を目の当たりにした時、これを伝え、知らせることは俳優として多くの人に知っていただいている私にとっての、大切かつ大きな仕事であると確信しています。これを読んでくれている皆さんにもあると思います。自分なりのスタンスで出来ることが。何も大げさなことではなくて良いのです。街で困っているご老人に手を差し伸べるのもいいでしょう。財布の中にあぶれている小銭を寄付してみるのもいいでしょう。あるいは、飢餓に苦しむ子供たちの事を胸に置き、自分が今日、食べられることへの感謝を抱き、出されたものは残さず食べる。そんな気持ちを持つだけでも何かが変わるとは思いませんか。言葉も、国境も、民族も、宗教も、イデオロギーも、何も関係なく、一人の地球人として、同じ星に生まれた命のために出来ることは何か。一人ひとりの問題として考えてみようではありませんか。