(C)石森プロ・東映

 

折れ曲がった左足

撮影は順調だった。ロケ現場は小田急線鶴川駅手前の十字路を右折したところの鶴川団地。この日の天候は快晴で、スタッフも、のりにのって次々と仕事をこなしていく。だが、そのことが逆に私の気持ちの中にわずかなスキを作ったのだろうか。好事魔多し。悪夢は一瞬にしてやってきた。第10話のラストカットの撮影が始まってバイクのアクセルを全開にした瞬間に、それまで経験したことのない事態が起こった アクセルを開けすぎたのか、突然疾走するバイクがコントロールを失った。時速は80キロ以上出ていたと思う。バイクと身体が路面を横向きに滑っていくのがわかる。目の前に道路脇の電信柱が近づいてくる。それまで高速で流れていた周囲の風景が突然スローモーションのようになる。ブレーキを力いっぱい踏んでも、もはやアスファルトをかむことができない。アッと思った時、私は走馬灯を見た。よく死にゆく人が亡くなる直前に過去の絵物語をというが、そういう感覚があった。このまま死ぬかと思ったくらいだ。意識は一瞬遠のき、次いでアスファルトに全身を叩きつけられた時に再び目覚めた。ひどいショックを受けたことはわかったが、どこにどのようにぶつけられたかは自分では記憶がない。あるべき方向に左足がない。「仮面ライダー」の記念すべき第一回の放送が始まったとき、私は都内のある病院のベッドの上で身動きできない身体をひねってテレビを凝視していたのだった。



勇み足で、失踪騒ぎ。

「仮面ライダー」が二年めに入り、視聴率も好調だった頃のこと。私は人気とは裏腹に、自分がいつまで本郷猛役をやっていられるのか不安に思った。今でもテレビ界は変わっていないが、出演者と製作会社は正式な出演契約を結ばない。プロデューサとマネージャー、あるいは役者との口約束がほとんどだ。「××ちゃん、今度この役頼むよ」「ええ、いいですよ。マネージャーに言っておいてください」「ギャラはこのくらいでね」「もうちょっと何とかなりませんか」「じゃ、これで」「わかりました」そんなやり取りがあるだけだ。 「仮面ライダー」についても、当時契約書はなかった。いつまで番組が続くのか、いつまで私が演じていられるのか、何も知らされていなかった。そういう時に、NHKの「赤ひげ」という大型番組のオーディションがあるという話をききつけた。当時のマネージャーに相談すると受けてみる価値があるという。私は「仮面ライダー」のスタッフに断らず、そのオーディション会場に出かけて行った。もちろん、受かるとは思わなかった。挑戦してみたかっただけだ。当時、NHKの中でも敏腕と言われていたディレクターが「藤岡君、いいね」と言って下さった。子ども番組にでている役者を使うのはNHKでも勇気がいることだったろうが、何とオーディションに合格!となってしまったのだ。私は嬉しかったが、同時に「仮面ライダー」のことが気になって青くなってしまった。はたして両方に出ることは可能なのだろうか―。 結論から言うと、「仮面ライダー」は続いていくこととなり、毎日放送も東映も私を降ろすことはできないとケンカになってしまった。勝手にオーディションを受けたことが大問題になってしまったのだ。私にしてみれば、いつまで続くかわからない仕事に将来を賭けるわけにはいかないし、新しい役柄にチャレンジしたかった。「仮面ライダー」のスタッフを裏切るつもりはなかったが、結果として迷惑をかけてしまった。 役者として新しい仕事にチャレンジするのは当然だと思ったが、周囲に迷惑をかけることは本意ではない。NHKは掛け持ちを絶対に認めないから、「仮面ライダー」側が駄目と言ったら出演はできない。けれどそれでは逆にNHKのスタッフを裏切ることになる。板挟みになった私は思いあぐねて人間不信に陥ってしまい、しばらく川崎の工事現場に身を隠すことにした。 もう芸能界がわからなくなってしまった。自分の意志で物事が進められないなら、こんな仕事をしていても意味がない。記者会見で「もう俳優は辞めます」と言って、覚悟の上の失踪だった。それでもほどなくして新聞記者に見つかってしまい、また現場に戻ることになった。この時も平山さんたちはは優しく迎えてくれた。だから無事に復帰することができた。外への志向が周囲に迷惑をかけてしまった事件だった。



なぜライダーのコスチュームは色が変わっていったのか。

よくマニアックなファンに質問されるのは、1号ライダーと2号ライダーのコスチュームが違うのはどうしてだという点と、1号ライダーも復帰してからコスチュームが変わったのはなぜだという二点だ。2号ライダーからはコスチュームが変わったのは偶然で、仮に私の事故がなかったとしてもコスチュームは変えていたはずだという。なぜなら当初の衣装は真っ黒で、よるの対決シーンになると姿が見えなくなってしまうからだ。 私はアクションに夢中でわからなかったが、蝙蝠男との対決は黒対黒で画面が真っ黒だったという。これでは変えざるを得ない。それだけではなく、途中で何回も衣装などはマイナーチェンジを繰り返している。平山さんは、当時人気上昇中だった漫画誌の編集者に話をきいて、そういうアイデアを思い付いたという。アイデアよりも、「主人公の姿形は途中で変わってもいい」と教えられたというのだ。当時の映画的な考えでは、一度世に出た主人公は何があっても衣装を変えることはなかったという。鞍馬天狗しかり、赤影しかり。いつも同じ衣装で通している。これに対して漫画は、長く読んでいると主人公の姿は変わるし、顔つきまで変わってしまうこともある。そのことを不思議に思って平山さんが漫画の編集者に聞くと、「変わったっていいじゃないですか。主人公がよくなるのなら、がまんして元のままにこだわる必要はないじゃないですか」というあっけらかんとした答えが返ってきたという。当時漫画誌は雨後筍のように誕生し、世の中の人気を集めていた。そのメディアの勢いを借りて、平山さんたち製作陣は「仮面ライダー」の衣装を徐々にマイナーチェンジしていった。1号ライダーは復帰してから、手袋とブーツがシルバーになった。2号ライダーも手袋とブーツが赤になった。ジャンプスーツもラインが入ったり銀色になったりした。皆、少しでもいい主人公にしようという、スタッフの執念の賜物だった。

 

 

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