体術的には、自らの正中線上に重心を置くことでバランスを保つという意味と、
相手を攻め込む際に 相手の正中線上に集まってい る急所を狙えという意味もある。
それと同時に大切なことは精神と肉体の バランスだ。己の心の中にある善悪を見極め、
己の良心に問いかけることだ。 武術を使う者自身が自己管理をし、心の中心をとり、
精神を修養し、人を守り、国を愛し育み、
活人の手段とすることを心がけなければ、
武術はただの殺人術にもなりかねない。
武術を通して、大いなる中心(人類全体の調和)のために自己中心的な考えや傲慢さと言った
小さな中心(エゴ)を捨て去ることも「中心をとる」という言葉に託された大切な意味である。
他の為に生きるべし!(自己犠牲の精神)

 

 

武術の心得があるからと言って自分から争いを求めてはいけない。
昔のサムライ達もまずは腹を割って話し合い、
その結果どうしても解決できない時にのみ雌雄を決するために勝負を挑んだという。
争う必要がないのに斬り合い、戦うのは狂気の沙汰でしかないのだ。
戦い、勝利するのは最低の事、最後の事。
相手を呑み、相手の戦意を喪失させるのだ。そして相手を抱きしめるのだ。
己の敵を味方にすることこそが武術の極意である。
争わずして戦わずして勝つことこそが本当の勝利と言えよう。
威をもって相手を制す。清濁併呑(せいだくへいどん)。

 

 

武士道の本質とは何か。私は「責任をとる」事ではないかと思っている。
かつての武士達は何か問題が生じた時に、 その責任を一身に背負い、腹を切った。
だがこれは単なる自殺ではなく、 自分が先人の残した悪しき事(膿)のすべてを背負い、
処理することで、己の心身の潔白を証明し、 次なるものへの新しい活路を拓き、
次なるものへ道を残し、託す、委ねるという意味があったのだ。
もちろん自殺をしてはいけないし、武士道は死を奨励するものでは断じてない。
命懸けで真剣に世の為、人の為、人類のため、何かを成し遂げろと言いたいのだ。
そうすれば、その志が昇華され、 その愛なる思いは次なるものへ受け継がれるだろう。
自らの善なる生き様を世に残すこと。
自分が今、存在しているという奇跡を確認しアイデンティティを歴史に刻む。
これぞ武士道精神である。生命(いのち)より尊いものは愛である。

 



本物の迫力がここにある。 藤岡弘、入魂のビデオと本だ!
完全オリジナルムービー <斬・スピリッツ> 武士道とは何か。真のサムライの姿とは。全編に渡り繰り広げられる、 真剣を用いた演舞と殺陣の映像。 武士道の「精神」「魂」「禅」「神」「命」そして「道」。 その全てが、この中に凝縮されている。
<サムライ学>  藤岡弘、著  いまこそ武士道精神に学ぼうではないか。 武道を愛し、人間を愛し、世界を愛し、日本を愛する、人間「藤岡弘、」が書き下ろした、 現代の「5輪書」ともいうべき一冊。
   
   


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